5月8日(金)、SSH活動の一環として、高校2年生を対象に統合科学講演会を実施しました。令和6年に発生した能登半島地震について、メルヘン日進堂(石川県珠洲市)の代表取締役である石塚 愛子様より、被災された当時の体験をお話しいただきました。当事者の声を聴くことのできる貴重な時間で、生徒たちも真剣に聴き入っており、震災を石塚さんの目線で追体験し、未来に繋げられるとても意味のある講演会になりました。
この度ご講演いただきました石塚 愛子様、本当にありがとうございました。
本州で一番人口が少ない市、珠洲市は能登半島の最北端に位置し、朝日と夕日が同じ場所で見られる禄剛崎というとても珍しい岬があります。石塚さんが代表を務めるメルヘン日進堂もそんな珠洲市に店を構え、様々な種類のオリジナルバウムクーヘンを作り、販売しています。
令和6年1月1日16時10分、地震が発生しました。マグニチュード7.6、最大震度7の地震は津波を引き起こし、能登半島に甚大な被害をもたらしました。石塚さんは、避難所へと向かっているのでは間に合わないと感じ、自宅の2階へと垂直避難をしました。実際に石塚さんの自宅2階から撮影された地震から18分後の映像には、津波の恐ろしい光景が残されていました。人間の走るスピードを超える勢いでなだれ込んでくる灰色の液体は高さ120cmの津波で、家の1階部分に大きく浸水し、車は軽々と流され、木々や大きなゴミが次々と運ばれてきました。
水はなかなか引きませんでした。2階に置いてあった物は、固定していなければことごとくなくなっていました。とても寒いのに停電しているので、ファンヒーターは使えません。偶然2階に残っていた石油ストーブで、石塚さんの自宅に避難していた隣人と一緒に暖を取りました。水が引いてからも大変でした。道はあらゆるゴミや木などでふさがり、通ることも難しかったです。避難所によっては、あまりスペースがなく、人が寝転がることすらできないところもありました。停電しているため、安否確認すらまともに行えず、何百件もの心配のメッセージに返信できず、心苦しい日々が続きました。トイレの問題も深刻でした。震災の影響で逆流していたり、とても使える状況ではありませんでした。そんな中、宗教系ボランティアの災害救援ひのきしん隊の本部の皆様に宿営地として解放していたメルヘン日進堂にもトイレカーが来てくださり、本当に助かり心からホッとしました。
メルヘン日進堂は、1月2日付けで無期休業を決定しました。社員にも、「仕事のことは考えず、とにかく生きてください」と伝えました。バウムクーヘンを作る機械は幸いにも使える状態ではありましたが、水が使えず、材料調達も難しいためなにも作れませんでした。元々、メルヘン日進堂の111周年の年でしたので、何か企画をと考えていましたが、震災によってそれは難しくなってしまいました。ですが、翌月の2月から営業再開の4月まで『たすけ愛カフェ』としてお店を開放し、無事だったお菓子を分け隔て無く配る活動を始めました。自宅が残っており避難所暮らしをしていない方は、いじわるをされて支援物資をもらえないことがありました。そういった方にも食べ物が行き渡るようにとの思いもありました。
震災を経験して、悔いのない生き方をしようと強く思うようになりました。震災以前、庭で生きていたチューリップや水仙が、津波によって塩水を被ってしまったのに、それでも力強くもう一度育ちました。大きな困難の中でもその役割を全うしている彼らを見て、自分もそうありたいと思いました。
被災時は、コミュニティを形成する力がとても求められます。避難所は1家族2畳、3人以上で2畳プラスされるといった具合で、狭いスペースの中でぎゅうぎゅう詰めになって生活することになります。突然、見知らぬ人とも集団生活を強いられることになります。とにかくルールに従うしかなく、どうしたらより良い生活を過ごせるかは日々変化、アップデートされていきます。緊急時は特に思い合い、助け合うことが重要で、逆に言えばそれしかできません。お元気ですか、大丈夫ですか、とささいな声かけができるかどうかが本当に大事です。ですが、普段していないことは緊急時に急にはできないものです。日頃から心がけるようにしましょう。