青翔高等学校・中学校『2026 SSHイベント』情報をまとめています。
6月1日(月)、SSH活動の一環として、高校1年生を対象に統合科学講演会を実施しました。全4回の統合科学シリーズの第3回として行われた今回の講演会では、御所市観光協会から三井秀樹様をお招きして、『「御所市の観光資源の概要と関学民連携の取組」~御所まち活性化の経緯~』をテーマにご講演いただきました。御所市の観光資源や歴史、また街づくりのモデルケースとしての御所まちについて知ることで、今後日本で必要になってくる地方創生にも繋がるお話を聞くことができました。三井様には中学1年生の御所まちフィールドワークやその事前学習でもお世話になっておりますが、この学年はフィールドワークができていませんでしたので、御所まちをよく知る機会としてもとても良い時間になりました。
この度お越しいただきました三井秀樹様、本当にありがとうございました。
御所市は、60数年前に町村合併によって奈良県で8番目の市として生まれました。その頃、35,600人弱だった人口は少しずつ伸びていき、私(三井様)が小学4年生くらいの時に約37,500人に到達しました。ところが2017年にはそれまでの40年間で28.5%もの人口減少を受け、国から過疎地域に指定されました。その後も減り続け、今年3月末時点で22,500人、世帯数も1,200を切っています。16歳から64歳までの人口を生産年齢人口と言いますが、人口ピラミッドを見るとそれもどんどん細くなっています。50年前、御所市で生まれる子どもは500人くらい居ましたが、去年はたった69人でした。
ですが観光地としての御所市は、時代の流れとともに人気が高まっています。例えば、青翔の近くにある鴨津波神社は紀元前60年に創建されています。そのような昔から残っているものが御所市には沢山あります。最近、外国人観光客の方々にとって大阪や京都の観光は飽きられつつあるようです。『作り上げられた観光』ではなく、『自然なまま残っているもの』の人気が出てきているそうです。そのため御所市も海外から観光に来られるお客様が増えています。
そして御所市は周り4つの自治体の全てよりも沢山の観光資源を保有しています。例えば、葛城山は山頂まで登ると明石海峡大橋まで綺麗に見える景色があり、葛城一言主神社は映画のロケ地にもなり、また様々な芸能人の方も参拝に来られる有名な神社です。その他にも天孫降臨伝説の残る高天彦神社があったり、お年玉の由来となった葛城御歳神社もあります。さらに、神武天皇が即位した神武天皇社もありますが、実は明治政府はこの神武天皇社を宮跡として指定し、橿原神宮を整備しようとしていたとも言われています。
観光資源が豊富な御所ですが、街づくりは遅れていました。御所市が誕生してすぐ慢性的な赤字財政に陥り、2008年には1740ある市区町村のうち、3番目に赤字のひどい状態で、街づくりどころではありませんでした。職員の給料や市民の様々な活動に対する補助金などを削減することで、2011年には41年ぶりに黒字に復帰しました。その頃経済学部に通う御所市出身の大学生の方が街づくり担当として来てくれて、「御所市はもう、やっぱりこのまま終わっていく自治体なんですね」とものすごく寂しそうに相談してくれたんです。それがきっかけになって御所が大きく変わっていきます。
その大学生さんが私との話を研究室の先生にしたところ、日本の人口減少により15年、20年後に大きな問題となることに今まさに直面しているのが御所市という自治体だ、だからこの大学生にとってすごくいい教材になると判断されて、大学と御所市で協定を結ぶことになりました。色々なことを学生に挑戦させ、その結果を行政に活かす約束です。
大学生たちと力を合わせて行った大きな施策はJR御所駅についてでした。2017年にJRから御所駅の駅舎を取り壊し、簡単なホームにしてもいいですかとお話がありました。ですが、これから街づくりをしていく中で駅舎はとても大切だと思い、潰してしまうくらいならということで御所市で管理することになりました。さてどのように使っていこうという話を大学生たちとしている中、ある大学生の方が「この駅を毎日、一番使っているのは誰ですか?」と聞きました。それで、青翔中学校・高等学校の生徒が一番多いだろうなという話になり、「御所駅の駅舎がどんな風になったら嬉しいですか」といった内容の自作のアンケートを青翔生全員から取ってくださいました。普段使い用のコンセントやWi-Fi、自習できる机や椅子など、沢山の意見が出ました。市役所では反対もありましたが、なんとか説得して改修工事を行い、JR御所駅『まちかど案内所』として生まれ変わりました。
私が取り組んだ大きなこととして、『GOSE SENTO HOTEL』プロジェクトがあります。小さい頃、沢山の人で賑わう銭湯で近所の人と話をするのがとても楽しく好きでした。大人になっていざ街づくりをしようと思ったとき、御所に7軒もあった銭湯が全てなくなってしまっていました。これではダメだ、銭湯が必要だと思っていたとき、設備そのままに廃業した『宝湯』の所有者が、街づくりをするならこの銭湯を譲りますと言ってくれました。一般社団法人『NOTE』の助けもあり、復活した宝湯を中心とし街全体をホテルとする『GOSE SENTO HOTEL』プロジェクトが動き出しました。まず銭湯で湯を沸かすための薪として御所の半分を占める森林を利用することで、遅れていた間伐にも手を付けることができ、林業の雇用も生まれました。そして宿泊施設や洋食屋として、元々は別のお店として営業していた古民家が活用されました。街づくりをがんばっているからということで銭湯の近くの土地を所有者さんから譲り受け、御所まちセンターという地域拠点を作りました。また、御所中心市街地地区街なみ環境整備事業計画によって、街なみに合わせて道路を美装化したり、ポケットパークの整備なども行っています。これからも古民家の空き家を活用したお店はドンドン増えていき、ますます活性化していきます。
結果的に、地域の皆様だけではなく少し遠方のお客さんも宝湯のファンになったり、葛城山を目当てに来た登山客、また外国人観光客の方々にも沢山お越しいただき、大変賑わいを見せています。ただそんな中、それでも空き家は増えて行っていますし、人が増えるにつれてゴミも増えてしまい、ご近所さんにも迷惑がかかってしまっています。こういった問題についても解決するために考えながら、これからもこの御所まちが元気になっていくよう頑張っていきます。皆さんもこんなことをしたらいいのでは、といった意見があれば、ドンドン私に言ってくださいね。
5月28日(木)、高校1年生を対象に、SSH活動の一環として、統合科学講演会を実施しました。全4回の統合科学シリーズの第2回として行われた今回の講演会は、奈良県立大学から尾久土 正己学長先生をお招きして、文理融合やアストロツーリズムについてをテーマにご講演いただきました。
尾久土先生が実際に行った施策を基に、複雑化する社会の中で分離融合がいかに重要かを具体的に知ることができ、生徒たちの将来にもきっと大きな影響を与えてくれるとても素晴らしい講演会でした。
お越しいただきました尾久土 正己学長先生、この度は本当にありがとうございました。
今までは、だいたいの仕事はどうすれば儲かるのかがほとんど決まっているようなものでした。ですが、今は絶えず起こる国際紛争、気候変動や自然災害、またAIの急速な発展などにより、予測不能な時代になりつつあります。誰も経験したことのない時代、1年後どうなっているのかわからない時代では、決まったレールに乗るためだけの勉強をして職に就くという生き方が難しくなっていきます。
海外、特に欧米では文系・理系は分かれていません。例えば医者になるとしても大学では全ての分野を学び、その後大学院にあたるメディカルスクールで医学を専門的に学びます。ところが日本では、いわゆるコスパを大事にするため、早いうちから自分の得意なことに絞って勉強をします。その結果のひとつの例としては、日本のスマホより外国の製品の方がシェアが広くなっていることが挙げられます。日本でのものづくりは理系の中でも工業に強い人が作り、アメリカでは全てに通じている人が携わることになります。さらにアメリカでは心理学者や哲学者も雇うため、そういった面でも製品に差が出てしまいます。
こういった状況を受けて文部科学省は今、文系の人も数学のような理系科目を、理系の人も哲学のような文系科目をやりましょうと言い始めています。苦手なことから目をそらさず、しっかり勉強する時代なのです。日本の大学も変わりつつあり、理系や文系の境目が曖昧な学部が増えてきています。過去に私(尾久土先生)が先生をしていた大学の観光学部では、理系の先生が3分の1を占めていました。
進路が明確に決まっている、なりたい職業が決まっていて国家資格が必要、みたいな生徒は専門的な学部を目指さなくてはならないです。ただ、よくわからないけど色々なことに興味があるという人は、奈良県立大学のように文理融合を掲げる大学に通うこともできます。高校の段階で自分のやりたいことが絞りきれなかった人は、そういった選択肢もあるということを覚えておいてください。文系・理系の括りなく幅広く学びを進める中で、自分のやりたいことを見つけ、専門的な大学院を目指すのもひとつの道です。
私の元々の専門は天文学です。高校の教師として6年間勤め、その後天文台でも働いていました。その頃、和歌山大学では観光学部を作るために先生を集めており、当時の学長先生からうちに来ないかと言われました。「私は宇宙人ですよ?」というと「宇宙も観光資源ちゃうんか」と言われ、観光学部に入れてもらうことになりました。行ってみると、経済学や社会学の人がほとんどで、天文学はひとりだけでした。ですが最近、大金持ちは宇宙旅行に行ったり、また星空観光についても世界でとても広がっていて、天文学と観光学を混ぜた研究をやり始めるいいタイミングでした。
観光とは、「非日常な体験をするために出かける行為」とイギリスの社会学者ジョン・アーリは言いました。旅行と観光は違います。ただ出かけるだけのことを旅行と言い、その旅行に加えて普段できない体験をすることを観光と言うのです。そして私は「宇宙以上の非日常はあるのか?」の考えに行き着き、宇宙は究極の観光資源だと気付きました。その中でも今一番注目されているのは、持続可能な観光としてのアストロツーリズムです。
元々、星空は人々にとって見えて当たり前のものでした。ところが、明るい街でみんなが暮らすようになってからは、星が見えなくなってしまいました。2007年頃から研究されるようになったアストロツーリズムでは、『ダークスカイ』というキーワードにとても注目が集まっており、星が綺麗に見える場所を保護区として認定し、世界遺産のように守りつつ、観光客もいっぱい集まるようにしようとする活動が世界的にブームになっています。
『光害』というものがあります。これは地面を照らすための屋外の照明が上空方向へも光を漏らしてしまい、空を明るく照らし、星を見えなくしてしまう公害のことを言います。例えば、見下ろしたときに美しい夜景が見える六甲山のようなスポットがあるなら、上方向の光も観光資源になり得るかもしれません。そういった場所がないなら、ただ星空を見えなくしてしまっているだけです。光害の対策は、屋外灯に傘のような蓋を取り付け、上方向の無駄な光だけを防止することで行います。これによって上に漏れていた分の光も地面を照らすようになり、省エネルギーにも繋がります。
2019年、与論島の方が私のところへやってきて、何か一緒にできませんかね、と話をしてくれました。「うちには星空はあるんですが…」と私に言うものですから、「私は元々星が専門なんです」と握手し、観光についてお手伝いすることになりました。与論島には美しい珊瑚礁の海があり、既に夏の間は観光客も来てくれていますが、星も観光資源になると年中来てくれるようになると考えました。
持続可能な観光に必要なキーワードとして『トリプルボトムライン』というものがあります。『環境』・『社会文化』・『経済』、この3つをバランス良く開発しないと、持続できなくなってしまいます。環境だけを大事にすると、光を使ってはいけなかったり、エネルギーも極力使わないようにしなくてはならず、経済活動ができません。逆にお金儲けばかりを考えてしまうと環境に悪影響になってしまいます。また住民のことばかり考えていると、観光客にとって面白い場所ではなくなってしまう。この3つは社会の中でぶつかりあってしまうものです。これらに上手に折り合いをつけながら一緒に開発していくのが、持続可能な観光のやり方です。
まず与論島で着手したのは、住民達がお金を儲けられるようにすることでした。そこで、星のソムリエという制度を利用することにしました。私はその先生として教えることのできる資格を持っていたので、星のソムリエの講座を何回も開催しました。すると、人口5000人の街に100人ものソムリエが誕生しました。これにより、住民が各々のツアーを開き、自分たちで稼ぎを得ることができるようになりました。
次に光害対策として、上方向の光を遮断するタイプの防犯灯に交換しました。すると防犯灯の近くでも綺麗な星空が見えるようになってきて、令和3年の環境省の観測会では日本一暗い街との記録も出ました。夜、ビニールハウス栽培をしている場所だけが極端に明るいこともわかりましたが、それでもダークスカイの規準については余裕を持ってクリアしていました。
そして与論島には、星の名前や物語、歌などの独自の文化を持っており、けれども口伝えであったため忘れられようとしていました。それらを全て聴き、メモを取り、『ヨロン島の星空』というガイドブックを完成させました。与論島の星のソムリエたちはこのガイドブックもマスターしており、星空の紹介の際には星に関する歌を歌ってくれたり、また与論島独自の星の呼び方や物語を教えてくれたりします。
これらの取り組みにより、2023年には世界の持続可能な観光地のベスト100にも選ばれました。こういったことができたのは、文系から理系までの分野の学びを総動員したからでした。ですので皆さんにも文理融合に対して興味を持ってほしいなと思います。
5月20日(水)、SSH活動の一環として、高校1年生を対象に統合科学講演会を実施しました。全4回の統合科学シリーズの第1回として行われた今回の講演会は、株式会社井上天極堂の川本様にお越しいただき、吉野本葛についてとても詳しく教えていただきました。井上天極堂様と青翔は毎年交流させていただいており、探究活動の中で『葛青茶』や、『葛の葉から単離培養した酵母で作る米粉パン』の研究にも深く関わってくださっています。きっと今回の講演会から、探究活動のヒントを得られたことでしょう。
この度お越しいただきました株式会社井上天極堂の川本様、本当にありがとうございました。
元々、御所の農家さんは冬に山に入り、副業として葛の根を採っていました。現在ではそういった『堀り子』さんはとても少なくなってしまいました。御所市在住で定年退職された堀り子さんが、役に立つならとグループを作り、葛の根を掘る活動をしてくれていましたが、その方は大変ご高齢になられたため、堀り子を引退してしまいました。それにより御所市の掘り子さんはひとりも居なくなってしまったので、これはどうにかしなくてはと思い、私(川本様)は昨年から掘り子を始めました。井上天極堂で働きながら、副業として冬場の土日には山に入り葛の根を掘っています。根を採るには私がすっぽり入ってしまうくらい深く地面を掘り起こさなくてはならず、大変な重労働です。こういった事情もあり、掘り子になる人がおらず、吉野本葛の原料を手に入れることは難しいのです。
本日は試食を用意しました。どちらかが吉野本葛、もうひとつがジャガイモからできた片栗粉です。大人のイベントで同じ試食をしたとき、ちょうど半々くらいにわかれました。普段から食べていないものを食べ比べるのはとても難しいことですので、正解、不正解については気にしなくても大丈夫です。見分けるポイントとしては、吉野本葛は、よくよく味わえばさわやかで独特な味がします。片栗粉はジャガイモの香りがします。また、吉野本葛は身体に良い成分をできる限り残す精製方法を取るため、灰色や茶色に濁っています。それに比べて大量生産された片栗粉は透明度が高いです。
葛は1300年以上も前から日本に自生する植物です。そう考えられているのは日本人が文字を書き始めたのが1300年前で、その頃の記録には既に葛が存在したことが記載されているからであり、それよりずっと昔から存在していたと私は考えています。葛は葛根湯、つまり薬の主原料としてよく使われてきました。奈良や京都に都があったとき、葛の花や根が税として天皇に納められていたとも記録に残っています。様々な絵巻物にも夏の草として描かれており、貴族にとっても庶民にとっても、身近な植物であったことがわかります。また家紋にもデザインとして使われていました。江戸時代には葛の作り方や生えている場所、利用方法などを記した本が出版され、明治初期には旅行ガイドブックで奈良のお土産として記載されています。
なぜ奈良で葛が有名になったかというと、役行者(えんのぎょうじゃ)という行者さんが奈良で生まれたからと言われています。行者さんが山での修行の際、よく葛を食べていて、それが身体にとてもよかったから広まったそうです。葛の根のデンプンはそのまま食べると毒になったり、苦みやえぐみがあります。奈良では美しい水がよく湧いているので、葛を水にさらして食べやすくしやすかったのも大きな理由です。また、葛に含まれるイソフラボンは骨を丈夫にする効果もあり、修験道の方からも好まれました。それから、吉野の桜を見に来た観光客に広まっていき、奈良といえば葛と言われるようになりました。昨今騒がれている『はしか』ですが江戸時代にも存在し、そのころ配られていた瓦版にも、はしか予防として食べて良い物として葛があげられていました。
吉野本葛の作り方は、まず掘り起こした葛の根を、機械を使い潰すところから始まります。潰すと繊維状になるので、それを水につけて揉み、繊維に絡まっているデンプンを落とします。葛のデンプンの粒子は10マイクロメートルしかないので、布に入れて絞るとデンプンだけがすり抜け、繊維と分かれます。絞ったものを置いておくとデンプンが沈殿します。このままでは薬効成分が多すぎますし、色や匂い、また味も良くないため、米を研ぐように水にさらし一日おき、上水を捨ててまた水にさらします。これを何度も繰り返してデンプンを洗います。この作業は『吉野晒(よしのざらし)』と呼ばれます。この工業化しづらい過程を踏み美しくなった葛を、さらしの布の上である程度水分を取ったら電動のこぎりでブロック状に切り出し、それから32台の巨大な扇風機を使い、約1週間をかけて乾燥させます。その後、味、色、粘り、品数などを調べて箱詰めしてようやく完成です。
吉野本葛を使った食べ物としては『くずきり』や『ごま豆腐』が有名ですが、井上天極堂ではロールケーキやパウンドケーキも作っています。その他にも葛由来の乳酸菌を使ったタブレットや、食後の血糖値を下げる健康茶、また入浴剤、衣服や名刺入れなど、葛は様々な用途に使えます。青翔での探究活動に葛を活かしやすいと思いますし、実際に葛をテーマにした研究をして賞を受賞した先輩方もいます。
吉野本葛に縛られず、葛という植物そのものの活用方法など、皆さんのアイデアがあればどんどん考えていただけたらなと思っています。
5月13日(水)、SSH活動の一環として台湾の国立嘉義県嘉科実験高級中等学校様との交流会を実施しました。4月27日(月)に実施した事前交流で仲良くなったみなさんとついに会えました。まず始めに、マイクの前に立ち、両校の学校長と生徒代表が英語で挨拶や交流会を開けた喜びなどを話しました。台湾から来てくれた生徒の中には流暢な日本語で話す生徒さんもおり、今日の日を楽しみにしていた気持ちがとても伝わってきました。次に、嘉科実験中校の生徒による体操のパフォーマンスをしていただきました。覚えやすい動きでしたので、青翔の生徒たちも舞台に上がり、一緒になって踊りました。その後、台湾と日本のお土産交換をしました。青翔からはテーブルクロスや青翔クリアファイルを送り、嘉科実験中校様からはお菓子やお茶などをいただきました。
集合写真を撮ったら、アイスブレイキングとして12の班に分かれて自己紹介をし、時間が来たら次はクイズ大会をしました。自己紹介では少し緊張して、恥ずかしがっている様子でしたが、クイズ大会では大変盛り上がり、自信のある答えを教え合ったり、正解して全力で喜んでいたりしてとても楽しんでいました。次にその班ごとに縦に並び、伝言ゲームをしました。最初は身振り手振りのジェスチャーで伝える遊びをして、それから言葉だけで伝えるゲームもしました。難しそうなお題が案外伝わったり、逆に上手く伝わっているようで最後の答えが全然違うものになっていたりして、笑顔の溢れる時間になりました。
アイスブレイキングが終わったら中庭で昼食会を開きました。心地よく晴れていて風が涼しく、外でご飯を食べるのにぴったりの天気でした。
お昼ご飯を食べたらメインイベント、英語による科学研究発表会です。まず、両校の代表班による舞台上での口頭発表を行いました。嘉科実験中校様の発表は野球の効率的な練習方法やスペイン語の勉強方法についてでした。青翔の発表は葛から分離した酵母は米粉パンに対してどのように適合性を示すかについてでした。どちらの発表も内容が充実しており、生徒同士で質問し合いながら理解を深めていました。また、青翔の発表班員が描き、スライドに使用していたイラストを「とても可愛い、あなたが描いたの?」と質問され、とても喜ぶ姿もあったりと、緊張しつつもリラックスして発表を終えることができました。
次に、青翔生によるポスター発表を行いました。全21班の青翔の生徒の発表を7班ずつ3回に分けて行い、嘉科実験中校の生徒や発表していない青翔生が発表班を囲んで熱心に話を聴いていました。発表や質問が終わってからはお互いに好きな物を共有したり、他愛のない会話をして、とても仲良くなっていました。最後にポスターの前で集合写真を撮り、科学研究発表会は大成功の中で終了しました。
放課後になると、嘉科実験中校の生徒たちは青翔生が部活動をする中に混ざり、部活動体験をしました。日本文化を象徴する華道、茶道、競技かるた、日本拳法の4つの部活動に訪れてくれました。それぞれの部活動ごとに趣向を凝らして準備し、50分と短い時間の中でもその文化のさわりを知られる、とても良い体験になっていたと思います。
最後に青翔生や先生方が玄関に集まり、バスまでの花道を作り、お見送りをしました。仲良くなった生徒同士で別れを惜しむ姿も見られ、国や文化が違っていてもたった1日で絆が生まれる国際交流の素晴らしさを感じました。
今回の交流は、友情や英語での交流の自信、異文化交流の楽しさ等、とても沢山のものをもたらしてくれたと思います。この度お越しいただきました国立嘉義県嘉科実験高級中等学校の皆様、貴重な体験を本当にありがとうございました。
5月8日(金)、SSH活動の一環として、高校2年生を対象に統合科学講演会を実施しました。令和6年に発生した能登半島地震について、メルヘン日進堂(石川県珠洲市)の代表取締役である石塚 愛子様より、被災された当時の体験をお話しいただきました。当事者の声を聴くことのできる貴重な時間で、生徒たちも真剣に聴き入っており、震災を石塚さんの目線で追体験し、未来に繋げられるとても意味のある講演会になりました。
この度ご講演いただきました石塚 愛子様、本当にありがとうございました。
本州で一番人口が少ない市、珠洲市は能登半島の最北端に位置し、朝日と夕日が同じ場所で見られる禄剛崎というとても珍しい岬があります。石塚さんが代表を務めるメルヘン日進堂もそんな珠洲市に店を構え、様々な種類のオリジナルバウムクーヘンを作り、販売しています。
令和6年1月1日16時10分、地震が発生しました。マグニチュード7.6、最大震度7の地震は津波を引き起こし、能登半島に甚大な被害をもたらしました。石塚さんは、避難所へと向かっているのでは間に合わないと感じ、自宅の2階へと垂直避難をしました。実際に石塚さんの自宅2階から撮影された地震から18分後の映像には、津波の恐ろしい光景が残されていました。人間の走るスピードを超える勢いでなだれ込んでくる灰色の液体は高さ120cmの津波で、家の1階部分に大きく浸水し、車は軽々と流され、木々や大きなゴミが次々と運ばれてきました。
水はなかなか引きませんでした。2階に置いてあった物は、固定していなければことごとくなくなっていました。とても寒いのに停電しているので、ファンヒーターは使えません。偶然2階に残っていた石油ストーブで、石塚さんの自宅に避難していた隣人と一緒に暖を取りました。水が引いてからも大変でした。道はあらゆるゴミや木などでふさがり、通ることも難しかったです。避難所によっては、あまりスペースがなく、人が寝転がることすらできないところもありました。停電しているため、安否確認すらまともに行えず、何百件もの心配のメッセージに返信できず、心苦しい日々が続きました。トイレの問題も深刻でした。震災の影響で逆流していたり、とても使える状況ではありませんでした。そんな中、宗教系ボランティアの災害救援ひのきしん隊の本部の皆様に宿営地として解放していたメルヘン日進堂にもトイレカーが来てくださり、本当に助かり心からホッとしました。
メルヘン日進堂は、1月2日付けで無期休業を決定しました。社員にも、「仕事のことは考えず、とにかく生きてください」と伝えました。バウムクーヘンを作る機械は幸いにも使える状態ではありましたが、水が使えず、材料調達も難しいためなにも作れませんでした。元々、メルヘン日進堂の111周年の年でしたので、何か企画をと考えていましたが、震災によってそれは難しくなってしまいました。ですが、翌月の2月から営業再開の4月まで『たすけ愛カフェ』としてお店を開放し、無事だったお菓子を分け隔て無く配る活動を始めました。自宅が残っており避難所暮らしをしていない方は、いじわるをされて支援物資をもらえないことがありました。そういった方にも食べ物が行き渡るようにとの思いもありました。
震災を経験して、悔いのない生き方をしようと強く思うようになりました。震災以前、庭で生きていたチューリップや水仙が、津波によって塩水を被ってしまったのに、それでも力強くもう一度育ちました。大きな困難の中でもその役割を全うしている彼らを見て、自分もそうありたいと思いました。
被災時は、コミュニティを形成する力がとても求められます。避難所は1家族2畳、3人以上で2畳プラスされるといった具合で、狭いスペースの中でぎゅうぎゅう詰めになって生活することになります。突然、見知らぬ人とも集団生活を強いられることになります。とにかくルールに従うしかなく、どうしたらより良い生活を過ごせるかは日々変化、アップデートされていきます。緊急時は特に思い合い、助け合うことが重要で、逆に言えばそれしかできません。お元気ですか、大丈夫ですか、とささいな声かけができるかどうかが本当に大事です。ですが、普段していないことは緊急時に急にはできないものです。日頃から心がけるようにしましょう。
4月28日(火)、高校2年生を対象に、SSH活動の一環として統合科学講演会を実施しました。静岡大学教育学部の村越真教授とオンラインで繋がり、災害に関することや防災についての考え方を教えていただきました。災害についてしっかりと知ることで頭の片隅に残り、日頃からその対策を考えられると思います。
村越教授、この度は本当にありがとうございました。
15年1ヶ月17日、また31年3ヶ月13日。これらは大震災から経った月日です。災害のことを覚えていようとしても、人は自然と忘れてしまうものです。ですので、正しく知っていることが大切です。
災害とひとことに言っても、色々な種類があります。火山の噴火、地震に伴う津波、風水害にあたる洪水、あるいは土石流など様々です。日本は特に災害が多く、またその種類も沢山あり、自然災害のデパートと呼ばれています。世界中のあらゆる活火山のうち7%は日本に集中しており、地震は2011年から2020年までの1443回のうち259回、つまり17.9%が日本で発生しています。また、日本では台風と呼ばれる熱帯低気圧はその進路の17.5%が日本に向いており、先進国でこんなにも熱帯低気圧に見舞われる国は他にありません。
防災行動を取ろうとするとき、私たちは災害のリスクについて考えることになります。地震などの災害によって家が崩れたりケガをしたり、もしかすると死ぬかもしれない、そういった実際に被災した際のリスクについてをまず予測します。
ですが災害にはもうひとつのリスク、不確実性も存在するのです。自然災害はたとえ警報が発令されていたとしても、被災することから逃げることより、避難したときのコストについてを考えてしまうかもしれません。それは、被災することが不確実だからです。例えば、教室で授業をしているとき地震の警報がなったとします。外は雨が降っていて、避難するとしたら傘をさすことはできないでしょうから、ずぶ濡れになってしまいます。それなら体育館に逃げ込むのはどうかと考えたとき、体育館には屋根がありますので地震による落下物の可能性があり、安全とは言えないでしょう。他にも、観光客などを募った催し物があるとして、自然災害が訪れるからといって中止にするのかどうかも難しいところです。開催のための準備には大きなコストがかかっているはずですし、簡単に中止するというわけにもいかないかもしれません。来るかどうかもわからない不確実な自然災害に対してコストを払えるものかと考えたとき、適切な防災行動を取れないことがあります。
被災する確率が低いからこそ起こった悲しい出来事があります。東日本大震災が発生した際の釜石市大槌湾での死者や行方不明者は、ハザードマップで津波浸水予想範囲と示された範囲の『外側』に集中しています。浸水予測を遙かに超えて津波が浸水したのです。
防災弱者という言葉もあります。災害が起こった際の影響はその人によって違います。お年寄りや体の弱い人、幼い子どもや外国人などは特に影響を受けやすいです。様々な事情によって、適切な防災行動を取れないこともあります。
だれかと話し合いながら、災害によって発生する被害やリスクについて考えることは大切です。日頃から防災について意識し、考えるようにしましょう。
4月27日(月)、高校3年生を対象に、SSH活動の一環として台湾の中等学校様とオンライン交流を実施しました。これは5月13日(水)に青翔を訪れる台湾の国立嘉義県嘉科実験高級中等学校様との事前交流として開かれた催しでした。まず、スライドを表示しながらお互いの文化を説明し合い、その後生徒たちは6人ひと組ほどの班に分かれ、ひとりひとりが自己紹介していました。どんな漫画を読んでいるかや、どんなキャラクターが好きか等、楽しそうに交流しており、驚くような共通点を見つけたりしていて、とても良い催しでした。
13日の交流が楽しみになりました。きっとかけがえのない時間になることでしょう。